幸せはすぐそこにある。シンガーソングライター恩田RYUSUKE

ソウルフルフォークシンガーソングライター恩田RYUSUKEのブログです。 日々の感情・ライブ情報・日常・いろんなことを書いていきます!!

家族と向き合う3 母親と向き合う アメブロより移行2018・2

 

親父の後はお母さんの話

 

俺は母親が大好きだ!!

いわゆるマザコンてやつである。

男なんてみんなそんなもんだ。とよく人は言うが、まさに俺はその通りである。

母は俺が生まれた頃からうつ病であった。

トイレに行くのも、起き上がるのも大変であったことを覚えてる(気力が湧かない)

 

5歳年上の兄貴によく面倒を見てもらっていた。

俺は兄貴に育てられたんだと幼い頃いうくらい兄貴に面倒を見てもらっていた記憶がある。

(そんなことはないんだけどね。。。)

 

僕はお母さんが大好きでよく抱っこしてもらったり、とにかくベッタリしていた。

幼稚園に入園したては、もうギャン泣き。。。

寂しくて悲しくてとにかくお母さんの近くにいたかった。

 

お母さんが笑えば嬉しいし、

悲しそうであればとにかく悲しくなった。

 

それくらい俺は母親が好きだった。

 

小学校から帰ってきた時、いつも居間のソファーで横になっていた。

 

うつ病で動けない母は、

「代わりにトイレに行ってきて」

なんて冗談を言ってた。

本気で受け取ってた。

 

親父がお母さんを元気にできないこともすごく嫌だった。

だから俺がお母さんを守る!!と誓ったんだろう。

 

なのに、俺は、元気のないお母さんを幸せにできない。

 

自分に腹が立った。

 

そんなこともあって、

俺は常に情緒不安定w

 

いい子でいないと!!!

お母さんに喜んでもらいたい。

でもわがままも言いたいし、言ってしまう。

おまけに悩みっぽい。

心配性。

その割に威張りん坊。

なんで??良い子でいたいのに・・・と結局情緒不安定で、

とりあえず周りは大変だったみたい。

 

俺はいつも何があったか、何に悩んでいるか母親に相談した。というか、ぶちまけまくった。

母はいつも黙って聞いてくれていた。それが俺がグレずにここまでこられた理由だと

なんか占い師に言われたことを思い出したw

 

うつ病ながらいつも俺の話を聞いてくれていたお母さんは本当は強い。

 

けれども、そんな一面はあの時の俺には見えず、

繊細で

傷つきやすく

弱いと見てしまっていた。

 

俺が音楽活動を始めた頃、調子に乗ってしまったため、友達にいじめられた。絶望して不登校気味になった。

中高一貫校のちょうど真ん中、後3年ある。地獄だ・・・と思っている頃、

 

母親は、まぁスピリチュアルなセミナーに行って元気になった。

それまで、うつ病で元気のなかった母が元気になったのだ。嬉しかった。

そして、絶望していた俺もセミナーに行くことにした。

 

俺は母がいいというものは良い。嫌いといったものは嫌いだった。

もうマザコン以外の何物でもない。

 

そこから10年くらい通った。俺も母もすっかり元気になった。

いろいろ気持ちの持ち方も安定してきたし、母ともうまくやれてる。と思ってた。

 

そんな中、ある人(Aさん)に「あなたは、心の自立ができてない」言われた。

 

まさにそうだ。俺と母親は共依存していた。お互いになんだか傷を舐めあっていたような気がする。痛いところ突かれた。

俺は甘ちゃんなのだ。

パンツも親に洗ってもらっていた

恥ずかしい。むかつく。悔しい。情けない。

 

なぜそうなのか。なぜ、あの言葉に反応したのか。

 

俺はスピリチュアルな『方法』に捉われていたが、自分の気持ちと向き合うことにした。ある時は一人で、ある時は瞑想して、ある時はAさんとたくさん話しながら、、、

 

その中で、俺は気づいてしまった。

 

気づきたくもない、、、いや、、、そんなことありえてたまるか!!

いやだ。。いやだ!!!!!!!!!!

 

光と闇、太陽と月、女と男、この世はこのバランスで成り立っている

 

愛があれば、、、、そう憎しみもある。

 

まじかあああああああああ。

 

大好きなお母さんにそんな気持ちを持ってはいけない。

そう思い込ませてきた。

 

ただ、俺は確かに感じていたんだ。

感じてることに嘘をついて、押し込めてきた。

 

それは、、、、

もっと体の強いお母さんだったらよかったのに

もっと元気なお母さんだったよかったのに

俺はお母さんのせいでこんな風に。。。

もっと〇〇で産んでくれれば、、、

こんな風に言われたからこうなったんだ・・・・などなど

 

そんな風に思うことは、

俺の中では許せなかった。

大好きなお母さんにそんなこと、、、、なんなら俺が全部悪いんだ。。。と

 

俺は人間だ。

それを思う瞬間があって当然だ。

思ってしまうこと自体は自由であるべきだ!


なのに、許せない!!

 

愛情ばかり感じて、その裏側の恨み、憎しみを感じてこなかった。。。

コインの表と裏は切っても切り離せない。

 

俺は自分自身に謝った。ごめんな。

 

言いたいことも言えないこんな世の中は俺が作ってたんだな・・・

 

憎しみを感じている俺をぶっ飛ばして叩きのめしていたから。

 

泣いた。止まらなかった。

 

そして、俺はずっと母親を弱い人として認識してきた。

そして出来ることならこの感情に気づくことを避けて通りたかった。

 

だからこそ、ぶつかり合えなかった。ぶつかることが怖かった。

傷つけることが怖かった。

 

弱さの裏側の強さに気がつかず。

 

うつ病ながら2人の男の子を育てた。

家事だってやってた。

緊急事態にはいつも母の頑張る姿があった。

俺が悩んで帰ってくると黙って話を聞いてくれた。

家族の為に動いてくれていた。

 

俺のお母さんは強い。

なんで気がつかなかったんだろう。

だからこそ、俺は母の強さを信頼してぶつかることにした。

 

ぶつけた。

 

もちろん母を泣かせた。傷つけた。

そして、喧嘩になる。

 

俺が一番やりたくなかったことだった。

 

でもやった。

 

お母さんは強いんだ!!!!!!!!

おらああああ!!

 

「俺ムカついてる。」

「お母さんがもっと強いたくましいお母さんだったよかったのにと思った。」

「俺さ、お母さんのこと恨んでる部分あるわ。」

「もっとこうして欲しかった。」

 

理不尽だろうが、俺は少年の頃の気持ちを吐き出した。

俺はあの頃の少年の気持ちで母にぶつけた。

 

心に溜まったヘドロが流れ出て、綺麗な水が湧き上がる感覚。

 


 

大丈夫と感じている。

 

これをやることで俺は前に進める。家族になれる。。。と

 

 

そこから、母とはよくぶつかる。

(まぁ、俺がぶつけることが多いけどw遠慮してヨソヨソしい感じから、息子らしくんなったのかなー。)

 

お互いに言いたいことを言うようになってから母親もなんだかいい感じ。

 

俺との関係もいい感じ。

お互いに感じたことを本音で言い合えるようになった。

 

受け止めてくれる母と、わがままをしっかりいう息子になれた。

 

お互いに心の自立ができてきた。

 

少年少女時代の自分を癒せたときに本当に自立ができると聞いたことがあるが、まさにそんな感じがする。

 

経済的自立をしても心の中の突っかかりがとれていなければ、心の自立は出来ない。と誰かが言ってたが、そう思った。

 

俺が経済的自立をして実家を出ていれば、一端にやっているんだというプライドが邪魔をして、

そして、話す時間もなく、こんな話にはならなかっただろう。

 

俺はまだ実家にいる意味がわかった気がする。

つーかそう認識するわw

 

こうして、母とのわだかまりも解消できた感じがするんだ!!!
 

RYUSUKE