幸せはすぐそこにある。シンガーソングライター恩田RYUSUKE

ソウルフルフォークシンガーソングライター恩田RYUSUKEのブログです。 日々の感情・ライブ情報・日常・いろんなことを書いていきます!!

家族と向き合う3 兄貴と向き合う アメブロより移行2018・2

 

最後は兄貴との話

 

兄貴は俺より5歳上で、成績優秀、友達多し、かっこいい、結婚、父の跡を継ぎ、2児の父である。

 

すげーなぁ。

 

うつ病だった母の代わりに5歳児の時から俺の面倒をしっかり見てくれていた。

俺は幼い頃から兄貴に育てられたと言っていたくらい、兄貴はすごい存在だった。

兄貴は昔から天使のように優しかった。

リーダーシップをとり、部長、委員長、成績優秀。なんて完璧なんだ!といつも誇らしかった。

 

 

5歳も離れていると喧嘩も少なく、幼い頃はもうベッタリだった。

もう好きすぎて、兄貴が体調悪くて休むとなると、俺も腹痛になり休みが決定すると元気になる!というくらいそばにいたw

5歳も離れていると俺が小1の時には小6、中1には高校3年と、

生活サイクルが変わっていき、なかなか話す機会もなかった。

 

というか、話したことほぼ記憶にないのだ。

 

まぁ、俺が中3とかの時にはもうあんまり実家にもおらず、

兄貴は兄貴だけど、もう遠い存在になっていた。

 

まぁ、ここまで父親と母親との関係を書いてきた。

家族との問題をクリアにする度に、解き放たれた感覚があった。

 

ただ、どうしてもウジウジ虫なのか?何か俺にはまだやってないことがあるんじゃないか?

と、自問自答や、Aさんと話したり、大学の先輩と話したりしているうちに、ついに出てきたのだ。忘れてた。

 

兄貴だ!!!!!!!!

 

前から兄貴の話は、人前で出す度に、なぜか泣きそうになっていた(つーか泣いてたw)

ただ、俺の中で完璧な人であったので、あんまり気にしてなかった。

という言い訳。大事な部分ほど、隠したい無意識が働くらしい。

 

そう。

 

そうよ。

 

この【完璧】って超ヤバい!!てゆーか!!マジ卍!!!

 

全ては光と闇、好きと嫌い、愛と憎しみ、男と女。。。らしい

つまり今回のことに当てはめると

 

羨望⇔嫉妬    da!!

 

だって考えてみてくださいよ。

 

成績優秀、友達多し、かっこいい、早くに結婚、父の跡を継ぎ、2児の父で、超頑張って立派にやっているわけよ。

 

嫉妬ないわけないでしょ。

劣等感感じないわけないでしょ。

 

俺は、情緒不安定のわがまま問題児、いじめられて不登校気味、よく家で叫んでたw

仕事すぐやめた、好きなことやってる割に。。。割に!!!

実家にいて、お荷物お荷物!!w

 

兄貴に対する、劣等感は感じたくなかった。

感じてしまうわけにはいかなかった。

俺は生きていられない気持ちになるからね。

 

神様的存在として兄貴を置いていたんだよね。

育ててもらったし、5歳児の甘えたい時期に兄貴として弟の面倒を見ること

つらいだろうなぁーと勝手に次男目線で長男の辛さを感じて罪悪感に苛まれていたw

 

まぁ、恩義や劣等感、後ろめたさ等いろいろ含めて神様的存在にしたんだろうね。

神様は超えてはならない。的なものが俺の中にあったわけ。

 

うわあああああああああああ!!!!!!そうか!!!!!!

 

俺は本当に相対性の片側からしか生きてない。

両方を

観察する視点がなかった。蓋してた俺の嫉妬の感情は日の目を浴びず、性格もひん曲がり、悪臭を放つやつに化していたのだ。

 

実は、家族で一番遠い存在になっていた兄貴にこんな風に思っていたのだ。

俺は、ここまでのことを(父母の事)踏まえ。。。。こ・れ・は!!

 

話すしかないだろおおおおおおおおおおお

 

早速兄貴に連絡。善は急げだ!!!

 

初めてサシで飲むことにした。

 

とんとん拍子で決まる。よっしゃ・・・

ドキドキ。ドキドキ。

 

当日、、、、地元の居酒屋で、兄貴を待つ。

なんて言おうかな?

こうやって話すの初めてだよ?

順序立てよう・・・

 

考えてもうまくいった試しがない。

 

俺は最近はこういうとき流れに身をまかせる。

俺はこれだけはいうぜ。と決めてあとはノープラン。

勝手に口がしゃべることを信じて。

 

兄貴が来た。家族の中で誰よりも緊張するw

最初は何つーかもう知り合って2回目くらいに会う他人との会話的な感じw

家族でもこんなもんだ。

 

そこから近況を聞いたり、話したり(音楽活動、バイト、父、母とのこと)、、、、そしていよいよ。

 

「兄貴に言いたいことがあるし、兄貴に聞いてみたいことがあるんだ!」

 

俺は、不器用。

ストレートなんだwと心で笑った。

 

RYU「俺は兄貴を神様だと思ってた・・・超えてはいけないと勝手にブレーキを踏んでた。嫉妬してた。兄貴には次男として母親奪ってしまっていたような気がする。(ようは上で書いたような話をする)」

 

兄「そうなんだ。俺は小さい頃の事、あんまり覚えてないんだ。ただ、そう思ってたんだねぇ。俺は、人の面倒見るの好きだし、RYUの面倒も苦じゃなかったよ。まぁ、あったのかもしれないけど、基本好きだし。俺は、情緒不安定なRYUSUKEが音楽始めて気持ちを発散する場ができて、ホッとしたし、熱く打ちこめるような気持ちは俺はあんまりないから、羨ましいよ。」

 

おおおおおおお。

 

兄貴がどこまで自分の気持ちを伝えてきたのか、幼少期を覚えてるのかわからない。

 

ただ、俺が感じてきたことはあくまで次男から見た長男への気持ち

兄貴は長男としての長男をやる視点、次男を見る視点。。。

 

 

この世界は本当につくづく自分が世界を作り出しているんだなと思った。

俺の妄想で俺を縛っていたwwwww

 

そこから、まぁ酒も進み、いろいろ話したんだ。楽しかった。

言いたいことも言ったし、どう感じてたのか聞けたし、

 

そこで俺は自覚した。

 

兄貴は人間だった(神様ではない)当たり前w

 

俺は兄貴を超えてはならないという、

魔法を解いた。

 

自分で無意識に魔法にかけてしまってることって沢山ある。

人や出来事を通じて、自分で魔法をかける。

 

それが解けるたびに体は楽になり、次へ進む。

 

長年、かかっていた魔法が解けると泥のように眠ったw

それだけ体は緊張していたんだね。

 

お疲れ、俺。

 

兄貴は人間だったよ・・・www

 

兄貴とはまた飲もうなんて話をした。俺の中で、神様から人間になったのだw

こうして、俺は数カ月間の中で、家族との関係の中で自分にかけた魔法を解いていった。

見える景色は変わった気がする。心は軽くなったよ。

今だってやりあう。終わりはないのと思っている。

 

変化を感じながらも、現実にまだ具現化できていない日常。これはまた別の問題がある。まじかよ・・・面倒臭い

 

誰かが、

『いつだって事象は外側に求めてもない。内側にしか世界はない。』

『自分の感覚が当たり前ではないことを自覚せよ。』

『家族との関係性が社会の中で無意識に出るよ。』

 

といっていたが、本当にそうだと思った。

 

家族と話すのが楽しくなれば、社会の中での会話も楽しくなる。

まさに、今そうなってきている。家族との関係性を変えるのが、

もしかすると一番近道なのかもね。

 

家族近いけど、遠い存在に感じる。沢山の光と闇がある。難しい。面倒臭い。家族だから感じたくないとか様々あるんだろ〜なー。俺はそうだった。

 

これからも色々、自分の中で浮かんでくるだろうなぁ。

家族のこと、幼少期のこと、フッと魔法にかけた瞬間、、、、

 

日々、成長すれば、見える視点も日々変わる。

 

また、やるだけだし、日々感じていよう!!!(カッコつけたけど、面倒臭い!!w)

 

俺はソウルフルフォークシンガーなので、これを歌にしていくぜ。

 

俺はうたいびとだ!!!!!!!!!

 

やるぜ。

 

RYUSUKE

 

 

家族と向き合う3 母親と向き合う アメブロより移行2018・2

 

親父の後はお母さんの話

 

俺は母親が大好きだ!!

いわゆるマザコンてやつである。

男なんてみんなそんなもんだ。とよく人は言うが、まさに俺はその通りである。

母は俺が生まれた頃からうつ病であった。

トイレに行くのも、起き上がるのも大変であったことを覚えてる(気力が湧かない)

 

5歳年上の兄貴によく面倒を見てもらっていた。

俺は兄貴に育てられたんだと幼い頃いうくらい兄貴に面倒を見てもらっていた記憶がある。

(そんなことはないんだけどね。。。)

 

僕はお母さんが大好きでよく抱っこしてもらったり、とにかくベッタリしていた。

幼稚園に入園したては、もうギャン泣き。。。

寂しくて悲しくてとにかくお母さんの近くにいたかった。

 

お母さんが笑えば嬉しいし、

悲しそうであればとにかく悲しくなった。

 

それくらい俺は母親が好きだった。

 

小学校から帰ってきた時、いつも居間のソファーで横になっていた。

 

うつ病で動けない母は、

「代わりにトイレに行ってきて」

なんて冗談を言ってた。

本気で受け取ってた。

 

親父がお母さんを元気にできないこともすごく嫌だった。

だから俺がお母さんを守る!!と誓ったんだろう。

 

なのに、俺は、元気のないお母さんを幸せにできない。

 

自分に腹が立った。

 

そんなこともあって、

俺は常に情緒不安定w

 

いい子でいないと!!!

お母さんに喜んでもらいたい。

でもわがままも言いたいし、言ってしまう。

おまけに悩みっぽい。

心配性。

その割に威張りん坊。

なんで??良い子でいたいのに・・・と結局情緒不安定で、

とりあえず周りは大変だったみたい。

 

俺はいつも何があったか、何に悩んでいるか母親に相談した。というか、ぶちまけまくった。

母はいつも黙って聞いてくれていた。それが俺がグレずにここまでこられた理由だと

なんか占い師に言われたことを思い出したw

 

うつ病ながらいつも俺の話を聞いてくれていたお母さんは本当は強い。

 

けれども、そんな一面はあの時の俺には見えず、

繊細で

傷つきやすく

弱いと見てしまっていた。

 

俺が音楽活動を始めた頃、調子に乗ってしまったため、友達にいじめられた。絶望して不登校気味になった。

中高一貫校のちょうど真ん中、後3年ある。地獄だ・・・と思っている頃、

 

母親は、まぁスピリチュアルなセミナーに行って元気になった。

それまで、うつ病で元気のなかった母が元気になったのだ。嬉しかった。

そして、絶望していた俺もセミナーに行くことにした。

 

俺は母がいいというものは良い。嫌いといったものは嫌いだった。

もうマザコン以外の何物でもない。

 

そこから10年くらい通った。俺も母もすっかり元気になった。

いろいろ気持ちの持ち方も安定してきたし、母ともうまくやれてる。と思ってた。

 

そんな中、ある人(Aさん)に「あなたは、心の自立ができてない」言われた。

 

まさにそうだ。俺と母親は共依存していた。お互いになんだか傷を舐めあっていたような気がする。痛いところ突かれた。

俺は甘ちゃんなのだ。

パンツも親に洗ってもらっていた

恥ずかしい。むかつく。悔しい。情けない。

 

なぜそうなのか。なぜ、あの言葉に反応したのか。

 

俺はスピリチュアルな『方法』に捉われていたが、自分の気持ちと向き合うことにした。ある時は一人で、ある時は瞑想して、ある時はAさんとたくさん話しながら、、、

 

その中で、俺は気づいてしまった。

 

気づきたくもない、、、いや、、、そんなことありえてたまるか!!

いやだ。。いやだ!!!!!!!!!!

 

光と闇、太陽と月、女と男、この世はこのバランスで成り立っている

 

愛があれば、、、、そう憎しみもある。

 

まじかあああああああああ。

 

大好きなお母さんにそんな気持ちを持ってはいけない。

そう思い込ませてきた。

 

ただ、俺は確かに感じていたんだ。

感じてることに嘘をついて、押し込めてきた。

 

それは、、、、

もっと体の強いお母さんだったらよかったのに

もっと元気なお母さんだったよかったのに

俺はお母さんのせいでこんな風に。。。

もっと〇〇で産んでくれれば、、、

こんな風に言われたからこうなったんだ・・・・などなど

 

そんな風に思うことは、

俺の中では許せなかった。

大好きなお母さんにそんなこと、、、、なんなら俺が全部悪いんだ。。。と

 

俺は人間だ。

それを思う瞬間があって当然だ。

思ってしまうこと自体は自由であるべきだ!


なのに、許せない!!

 

愛情ばかり感じて、その裏側の恨み、憎しみを感じてこなかった。。。

コインの表と裏は切っても切り離せない。

 

俺は自分自身に謝った。ごめんな。

 

言いたいことも言えないこんな世の中は俺が作ってたんだな・・・

 

憎しみを感じている俺をぶっ飛ばして叩きのめしていたから。

 

泣いた。止まらなかった。

 

そして、俺はずっと母親を弱い人として認識してきた。

そして出来ることならこの感情に気づくことを避けて通りたかった。

 

だからこそ、ぶつかり合えなかった。ぶつかることが怖かった。

傷つけることが怖かった。

 

弱さの裏側の強さに気がつかず。

 

うつ病ながら2人の男の子を育てた。

家事だってやってた。

緊急事態にはいつも母の頑張る姿があった。

俺が悩んで帰ってくると黙って話を聞いてくれた。

家族の為に動いてくれていた。

 

俺のお母さんは強い。

なんで気がつかなかったんだろう。

だからこそ、俺は母の強さを信頼してぶつかることにした。

 

ぶつけた。

 

もちろん母を泣かせた。傷つけた。

そして、喧嘩になる。

 

俺が一番やりたくなかったことだった。

 

でもやった。

 

お母さんは強いんだ!!!!!!!!

おらああああ!!

 

「俺ムカついてる。」

「お母さんがもっと強いたくましいお母さんだったよかったのにと思った。」

「俺さ、お母さんのこと恨んでる部分あるわ。」

「もっとこうして欲しかった。」

 

理不尽だろうが、俺は少年の頃の気持ちを吐き出した。

俺はあの頃の少年の気持ちで母にぶつけた。

 

心に溜まったヘドロが流れ出て、綺麗な水が湧き上がる感覚。

 


 

大丈夫と感じている。

 

これをやることで俺は前に進める。家族になれる。。。と

 

 

そこから、母とはよくぶつかる。

(まぁ、俺がぶつけることが多いけどw遠慮してヨソヨソしい感じから、息子らしくんなったのかなー。)

 

お互いに言いたいことを言うようになってから母親もなんだかいい感じ。

 

俺との関係もいい感じ。

お互いに感じたことを本音で言い合えるようになった。

 

受け止めてくれる母と、わがままをしっかりいう息子になれた。

 

お互いに心の自立ができてきた。

 

少年少女時代の自分を癒せたときに本当に自立ができると聞いたことがあるが、まさにそんな感じがする。

 

経済的自立をしても心の中の突っかかりがとれていなければ、心の自立は出来ない。と誰かが言ってたが、そう思った。

 

俺が経済的自立をして実家を出ていれば、一端にやっているんだというプライドが邪魔をして、

そして、話す時間もなく、こんな話にはならなかっただろう。

 

俺はまだ実家にいる意味がわかった気がする。

つーかそう認識するわw

 

こうして、母とのわだかまりも解消できた感じがするんだ!!!
 

RYUSUKE

 

家族と向き合う2 父親と向き合う アメブロより移行 2018・2

まずは父親との話

 

父は自営業を営み、30年以上自分1人で家族を支えてきた。

 

クラシック、オペラが趣味(これは全く俺は影響されなかったGA)

あとは、散歩が大好き

 

昔から、何だかお父さんが好きじゃなかった

 

愛情を注がれていることも感じていたし、

俺たち家族のためにたくさん働いてくれているのも知っていた。

 

でも、何だか好きじゃなかった。

 

抱っこされれば泣く

なんか言われるとムスッとする

パパよりママがいい

 

幼な心にマジで父さんすまない。。。と感じながら、イラついていた

 

何かお願い事や、大きな進路などに関しても大体母親を通して会話していた。

 

何か相談するたびに『えっっ!?』とされるのが嫌だった。

 

いつも何となくイラついているから父親に対して、

疲れて帰ってきても素直に、お疲れ様も言えず、

ありがとうも何だかぎこちなかった

 

色々感じてわかっているのに素直に言えない、そして、

 

大好きなはずの家族、父親を好きだと言えない

俺自身に腹が立っている部分が大きかった。

 

月日は流れ、大きくなって

当たり障りない話をするようになったけど、

何だか距離は遠いままだった。。。。

 

 

父さんは、昔から何も口を出してこない人だった。

なんか悪いことをしても

えっっっっっっ!?というのはあったけど、これからは気をつけようね^^と

 

基本は何も言わない人だった。

 

いつも、無口で、笑顔で、家でも愚痴一つこぼさない人だった。

 

俺はその時、

 

怒られなくてよかった!!とも思うけど、

何か悲しい気持ちにもなっていた。

 

 

音楽活動を中学生からやってきて、いつも応援してもらっていた。

他の友達からは、反対される話を聞く中、

本当に感謝なんだろうな。。。と他人事だった。

 

俺は…そんな自分も許せなくて、

 

それでも、

父にはお世話になってるし、食わせてもらってるし、

 

感謝だ!!感謝だ!!

 

と何か呪文を唱えるように感謝という言葉を使っていた。

 

それはもう取り憑かれたようにw

 

大学を卒業して、

就職して

退職して

整体師を目指して整体師の資格を取り

いろんなビジネスに取り組み失敗した。

 

そして、また俺は歌うことを選択できた。

親父は黙っていた。

むしろ、お疲れ様、大変だったね^^っていう感じ

 

うん。。。。さん。。。キュー

 

何なんだ。。。この感覚。。。

 

ねぎらってもらうのは嬉しい。

何も言わないなんて、すげーーよ!俺なら…

 

親父、、、なぜそれだけなんだ!!!!

 

そう、気づいてしまった。

 

俺は何も言わない親父に対して、

 

本当に愛情を注がれているのかとても不安だったのだ。

 

兄貴は親父の後を継ぎ、成績優秀の友達が多くて、結婚して子供もいる。

もうめっちゃ完璧

 

俺は無意識に親父に対して、俺にことをどう思ってんのか不安だった。

 

できのいい兄貴、

 

気むずかしくて、気分屋の甘ったれ次男坊。

 

父親はこんな俺を愛してくれているのだろうか。。。。

 

聞きたくても怖くて聞けなかった。

 

当たり前だろ!!!そうじゃなかったらどうすんのよ!!w

 

 

俺は、会社退職後、いろんなビジネスに触れて、借金を作ったw

 

早く自力で一人前になってやる!!という割には、楽して金を稼ごうと躍起になっていた。

カード、ローン膨らむ借金。やべええええ

 

別に父親に言わなくても、バイトとかで返せていけるとは思うんだけど、

 

俺は、実家なう。もう食わせてもらってる。昔から、親父には内緒にしすぎたことが多すぎた。

 

俺は苦しかった。情けなかった。悔しかった。

 

人間は無意識にある本質的なものと向き合うために、いろんなストーリーを起こすらしい

(俺の場合、親父に本当に愛されているのかどうか。を確認したかっただと思う。)

 

親父と話そう。

 

俺はどうやら、借金とかたくさんの秘密などここまでしないと親父と向き合えなかっようだ!!

 

もっと早く気づけや!!w

 

そして、ある日親父と2人きりになった時、切り出した

 

まずは借金の話。

 

借金がある。経緯を話した。

・・・・隠したいような気分に何度もなったけど、俺もこのチャンスを逃す手はあるまいと包み隠さず話した。

 

親父は驚いていたけど、『うん。うん。』と聞いてくれた。

 

そして、俺は言った

 

『その反応。なんでいつもそれだけ?いつも親父に俺は。。。』涙が出てきた。

 

ついに言ってしまうんだ。

ずっっっと秘めてた気持ちを。。。

 うわぁぁー!言っちゃのか!!行っちゃうのか!??と脳内実況される中

 

『いつも親父に愛されているか不安だった。いつも何も言わないし。親父はどう思ってるの??』と

 

そこまで、静かに聞いていた親父が怒ったのだ。

 

『は?愛しているに決まってんじゃん!!何言ってんの?愛してるから何も言わないんだよ!!!!』

 

俺は涙があふれ出た。

 

無言の愛

 

だったんだ。

 

愛して信じてくれているからこそ何も言わなかったんだ。

 

俺はこの言葉が聞きたくてここまで思いを秘めてきたんだなと思った。

 

母親は色々心配して声をかけてくる愛だった。

ということは逆に

 

無言の愛だってあって当然だ。

 

母なる大地

天なる父

 

俺は今まで思っていたことを話した。息子としてどういう気持ちだったのか。

 

もう誰がなんと言おうと、どんなに理不尽な気持ちでも言った。

 

叱ってほしくないけど、叱って欲しかった。(超矛盾)

お父さんのこういう所が嫌だった。(理不尽極まりない)

お母さんを元気にできないお父さんが嫌だった。(八つ当たり)

寂しさ、感謝できない自分への怒りなど(自分ごと)

 

話した。

 

父は淡々と答え、そして頷いた。

 

今思いつく限りの思いは伝えた。

 

その頃には俺の中で固く閉ざされた扉に溜まったものは無くなっていた。

 

親父は一言

 

「言ってくれてありがとう」

 

俺もその時「ありがとう」

 

心から言えたんだ。。。。


 

 

それから何か心の中の氷が解けたように、

 

親父とはそこから仲良くなった。

むしろすごく好きになった。

相談するようになった。

嫌だということを遠慮なしに(まぁあるけどw)言えるようになった。

俺のライブや歌について口を出すようになった。(もっと売れたらいいのに。。。とかね)

 

親父の偉大さをすごく感じることができた。

 

この出来事になるまで27年

生きててよかった!!

 

さ!!!!借金返すために頑張れ!!俺!!!

 

ちなみに音楽活動についてはどう思ってんの?って聞いたら

 

『30歳までに今のままだったらどうするか聞こうと思ってた。』

 

だって!

懐深い父親に脱帽だわ。

 

必ず売れる。

 

 

RYUSUKE

 

家族と向き合う1

どうもRYUSUKEです!

 

今年も一ヶ月過ぎて2月になりました。

 

毎年、1月から春先くらいまで水面下に潜り込んで、自分のことを見つめる時期になっています。

(なってんのか、そうしてるのか、、、まあどっちもでしょう)

 

昨年の秋頃から家族と話す機会が多くなりました!!

 

それは、もう27歳だからとか音楽活動はいつまで。。。という話ではなく、(それももちろんあるけどね!w)

 

僕が腹の中に溜め込んでいた想いを伝えたことがきっかけでした。

 

すごくわがままで、親も大変だった部分もあったけど、僕は結構繊細な奴で、

空気を読んで言いたいことが言えなかったり、いい子でいなきゃと頑張っていたんですよ

 

その頑張ってもうまくいかないとか、言いたいことが言えない怒りとか恨みとか、

報われないと感じる自分に蓋をして生きてきたんだけど、

 

 

まぁーーーーーこれがしっかり僕の中で根深く土台を作ってきたんだよねぇ

 

これからさらに自分が前進するためには、

 

うちの家族は仲が良く、周りから見ればいい家族!だと思ってるんだけど、

 

どこかよそよそしく、僕は本当にこの家の子なのだろうか??と思っていたものでw

 

父親はなんか会話してるとイラッとするし、ほぼ母親を通して

母親は体が弱く、心も弱いと思っていたので、ぶつかれずお互いに腫れものを触る感じ

兄貴は完璧すぎて、俺はなんとなく劣等感を感じていたし

 

全員と腹を割って話さないと俺!!!!進めない!!!!

 

と思った。

 

まぁ、悶々とする日々だからこそ、

この数ヶ月何が家族とあったのか、

ちょっくらここに書き記していこうかなぁと思ってます。

 

まずは父親かな

 

 

RYUSUKE

 

 

母校・郁文館文化祭ライブ 卒業からの10年間。MCで話した想い

恩田RYUSUKEです。

 

約10年前に卒業した母校郁文館にて審査員とゲストライブしてきました!!!!!

f:id:guitar335r:20181001134940j:plain

 

母校で歌えるなんて幸せだ。とても素晴らしい時間になった。

 

2018/9/29 郁文館・郁秋祭 地下体育館ライブ

1.DANDANDAN!!!

2.September

 

2曲を在校生と保護者の方にプレゼントしました。

 

DANDANDANは高校生たちと一緒にガンガン合唱できたし最高に面白かった。

(最後まで読むとSeptemberも見られるよ!!)

 

卒業してからの10年、何を感じて何を思ってきたのかをえらそーに話しました。

ざっくりここでも

 

人生のテーマ

自分を大切に自分らしく生きる。その上で周りの人、自分を幸せにする。

 

1,夢を諦めた

中高の夢はミュージシャン。なんなら大学生まで夢はミュージシャン。

f:id:guitar335r:20181001143056j:plain

 

その夢を口にしたからか、本当に色々いい経験をさせてもらった。

音燃え優勝や中野サンプラザでのライブ、avexでレコーディングやPV撮影など。。。

その後大学進学後は4年間バンド漬け。

 

ただ、夢を諦めたんだ。

理由はずっと心にあったもの

・出る杭になりたくない

・人に嫌われたくない

 

親、先生、友人、世間の目を気にしてずっと生きてきた。

人が怖くて怖くてたまらなかった。

(いじめにもあってさらに)自分を押し殺して、人を喜ばせればなんとかなる!!って思い、その生き方を決意した。

 

社会のレールから外れるなんてやばい!人目につかない生き方をしよう!

サラリーマンの道を決意。

 

生きる希望がなくなり、毎日お腹を壊しながら出勤。絶望の日々だった。

仕事に身は入らないし、仕事覚えられないし、飲み会断れないし、3重苦、4重苦で激太り、体調崩す。そしてやめた。

ガラスのハートは粉々だった。

f:id:guitar335r:20181001143248j:plain

 

 

2.模索する日々

その後も音楽は趣味でやれればいいから何か手に職つけようと、

通っていた整体院の先生に頼み込み弟子入り。

1年勉強し、1年後整体師として活動。

f:id:guitar335r:20181001143357j:plain

その間にも色々なビジネスやバイトをしてみるがどれも中途半端、しっくりこなかった。。。

借金も作るし、友達もいなくなったりしたし、本当にクズだと思った。

 

自分のクソさ加減に落ち込み、責めまくった。

 

そんな中 、自分と向き合う時間が増えた。出会いのキッカケもあり、自分の中にあった【歌】の道をもう一度目指すことにした。

 

3.今が一番幸せ

それまでは自分を押し殺して人を喜ばせようとしてきた

 

みんなが幸せになればいい。俺は後回し。って思ってた。

 

けど違った。身も心もボロボロになって行った。自分を裏切ることだけだった。

10年以上、そんな生き方をしてきた。

自分に優しくなかった。

 

どうせなら

自分を大切にして、自分の好きなことで人を喜ばせる生き方をしよう。

 

やっとそう思えた。

みんなが押し殺そうが、自分を大切にしようがどっちでもいいと思う。

それぞれの経験だから。

俺は10年以上かかった。

それでもこのステージにまた歌い手として戻ってくるのに必要な10年だったから。

たくさん辛いことや情けないことがあったけど、今が一番幸せ。

自分を大切にする選択をできてきたから。

 

最後に言いたいこと

1.自分を大切に自分らしく生きる。その上で周りの人、自分を幸せにする。

2.失敗は1つもない全部人生のスパイスだと自分の幸せを信じる。

 

金も名誉もないまだ何者にもなれていないけど、今が一番幸せ。

いろいろな苦しいこと(人間関係、勉強、恋愛、仕事)様々なことが怒るけど、

 

「これは人生のスパイスだ!!もっとよくなるんだ!!!」と自分を信じて進んでいってください。俺も一緒に進んでいきます。

 

・・・・なんてことを伝えた。

在校生も何か感じてくれたらいいな。

何より自分自身、改めてここまでの人生よかったと思えたしこれから先もっと幸せになるんだなとおもった。

 

最後に保護者の方が、

ご自身の子供のことでも悩んでいて、心に響いたって伝えにきてくれた。

嬉しかった。俺の人生で誰かを支えることはできているんだ。

 

なんだ、いるじゃん。時々必要とされていない感覚があるけど、いるじゃん。

この目の前の人からだよね。本当にありがとうございます。

 

改めて自分の生きる道をしっかり生きようと思いました!!

郁文館のみんな!ありがとおおおお!!

f:id:guitar335r:20181001145619j:plain

 

 

 

母校・郁文館文化祭ライブ 審査員の私

恩田RYUSUKEです。

 

約10年前に卒業した母校郁文館にて審査員とゲストライブしてきました!!!!!

f:id:guitar335r:20181001134951j:plain

いやー10年前よりも女の子も増え(僕の頃は男子校)全く別の学校になってました。

 

男子校は男子校ですごくいい時代だと思いますが、

共学ならではの恋愛とかのイベントは羨ましい。俺も学生生活の中恋愛したかった。

 

まぁ、審査員なんておこがましいですが、

文化祭バンドバトルのイベント(今はガチスター天国)初代チャンピオンなので僕ができる精一杯の審査をしました。

 

みんな上手いね!

カバーやオリジナル、ユニットやバンド色々な8組の演奏を聞かせてもらいました。

 

10代ってものすごいエネルギーがあるよね!!

とんがってたり、とにかく純粋だったり。

素晴らしいエネルギーをもらいました。

 

審査してるともうどっちも優勝して欲しいとかそういう場面にも出くわすもんで、でも決めないといけない。

審査に納得いかない人たちもいる。

それでも決める。俺がいいと思ったバンドに票を入れないと、そのバンドに、そしてその直感を感じた俺に失礼なんだ。

なんだか自分の人生の決断する時とも似ているような気がしたよ。

 

僕が音燃えと言う番組で審査される側の時、なんでやねん。あの審査員見る目ない。

とか思ってたしw

 

いざ審査する立場になると、あの審査員も

こういう気持ちだったのかな?と思えて、やはりその立場にならないと感じないこと、見えないことがあるんだなぁーとつくづく思いました。

 

優勝バンドおめでとう。後輩たちよ。

これからも学生生活楽しんでくれ。

f:id:guitar335r:20181001135023j:plain